2024振り返り

去年まではコンテンツを中心に振り返ってきたが最近はthreadsの方で触れたコンテンツをまとめるようにしているのでここでまとめる必要がなくなってきている。なので今年はもう少し感じたことベースでいくつかのトピックを対象に書いていこうと思う。

賞レース

今年は知り合いがお笑いの賞レースでいいとこまで行くことが多い年だった。M-1で準々決勝行ったりキングオブコントで準決勝行ったりTheWに関しては最終決戦まで残ったり。まあM-1キングオブコントに関してはここからが大変なところなのだろうが。

知り合いが賞レースで勝って賞賛されているのは嬉しいと同時に羨ましいなと思う。The Wの忠犬立の一本目は単独で見た時あんまだなと思ったのもあり自分のズレも感じざるを得ない。自分はお笑いサークルに入っていたがプロになるつもりは全くなかった。お笑いで戦うのは好きではないし戦っても勝てはしないだろうと思う。あと「大学まで行ってお笑い」と言う気持ちがある。本人の生き方だけの話ではなく、他の人の枠を一つ奪ってその大学に入ったということがあるので、その功罪の整理が自分の中でつけられていない。

まあでもそれは嫉妬心にロジックをつけているだけなのかもしれない。自分がお笑いを大学院卒業とともに辞めたことに関する後悔は全くないがそれでも他の人が自分がやらなかった場、できなかった場で活躍しているのを見ると嫉妬に似た感情は湧き上がってしまう。

ただ自分はこういうネガティブな感情を前向きなものに繋げていくのが割と得意な人間だとは思っている。自分が選んだ道である以上他の人に負けないように自分で進んでいくしかない。「大学まで行ってお笑い」という思いを消すことは難しいが、茂木健一郎がクイズノックを批判しているみたいなダサいことにはなりたくないのでうまいこと折り合いをつけられればと思う。

旅行

今年も海外旅行によく行った年だった。去年は仕事でやることがなかったので研究をちょこちょこやっておりそれが今年たまたま学会に通ったので国際会議で2回海外に行った。あとは友達とハワイに行き、自分一人でバヌアツとニュージーランドに行った。そんなに普段金を使わんのでこういう時にまとめて使ってしまう。

自分は大概飽き性でしかも最近はそれが加速しており、今年始めたボルダリングVlogももうほぼやらなくなってしまったが、海外旅行は全く飽きる気配がない。自分で全部決めて手配して現地でそのプランを状況に合わせて修正していくというその一連の流れがすごく好きなのだと思う。常に不安と隣り合わせではあるがその状態が自分の力で生きているという感覚と結びついて楽しい。まあもう行きたいところもそんなになくなってきたのでこのペースでいけば来年か再来年くらいでもう海外旅行はええかとなる気もするのだがそれまでは一人でも複数人でも行って楽しめればと思う。

今年行ったところとしてはバヌアツとニュージーランド、トルコのカッパドキアが特に良かった。バヌアツはツリーハウスに泊まり、設備は何も整っていなかったがその分現地の人と密に交流が持ててすごく楽しかった。ニュージーランドカッパドキアは単純に景色がすごくよかった。

体のメンテナンス

アプリで会った女の子に「部屋と肌が汚い」と言われて振られて以降スキンケアに気を使うようになったのだが、それと合わせて体のケアを行うようになった。本格的にアラサーって感じ。ボルダリングに行ったのもその一環ではあるし、ヒゲ脱毛も始めた。タイに行って以降は月一くらいでマッサージにもいくようになり、最近では風呂に入った後に柔軟体操なんかもしている。ランニングも2年ほど前からずっと続けている。

あとは酒を飲む量を減らそうとずっと頑張っている。一回に飲む量を減らすのは無理なのでペースを減らそうと考えており、大体週2くらいまでにとどめようと目標を立てている。まあ人と飯を食う機会があれば酒を飲んでしまうので特にこの時期は週2ペースはほぼ無理になってしまうのだが、「今日一人だけどどうしよう」と迷っている時に週2という壁があることで自分を抑えられるのはすごく良いなと思う。酒は飲めるけど飲まないという状態が一番良い。

こんな感じでやれることをやっているがどうしようもない物もいくつかある。例えば睡眠時間は最近明らかに短くなったと思う。大体7時間か7時間半ほどで目が覚めてしまうし、最後の方は眠りが浅いからか大体悪夢を見ている気がする。ランニングのしすぎのせいか膝も痛い。でも太るのも嫌だからランニングはやめたくない。元々広めのデコもさらに広くなった気がする。旅行もそうだが若いうちにできることはさっさとやって逃げ切りたいなと思う。

伊藤潤二/富江

伊藤潤二富江展に行ったことがなぜか記憶に強く残っている。多分この日が今年で一番精神が終わっていたからだと思う。富江という漫画自体もかなり好き。富江はいわゆるfemme fataleという部類に入るのだが、男を手玉に取るだけではなく思い通りにいかないと癇癪を起こしたり動揺したりする人間らしい部分があるのがキャラとして面白いなと思う。

千年女優

今年見た映画だとこれが一番良かった。今でもありありと思い出せる。パプリカやperfect blueもみたがこれがダントツ。構造は入り組んでいるがその分ストレートなセリフが突き刺さった。この映画以外だと「シティオブゴッド」、「どうすれば良かったか?」が良かった。

Twitterの人たち

去年まではTwitterを友達もしくは有名人やイラストレーターなどをフォローするのに使っていたが今年はTwitter上での変な人たちを追っかけるようになった。

借金が三百万を持っていて10歳ほど下の会社の同期の女の子に「死ぬ前に一度デートというものがしたかった」とLINEを送る人、新卒入社3日ほどで会社を辞めその後もいろんな会社の入退社を繰り返す人、結婚を考えていた彼氏に別れを告げられたすぐ後に別の女にその彼氏を取られた恨みで何年間もその二人に粘着し続けている人などいろんな人がいる。

多少フェイクや盛りが入っているんだろうなとは思うがバズって認知される前から同じようなツイートを続けているため丸ごと嘘というわけではなさそうなのが面白い。2chの釣りスレとは違い歴史がある。

こういう人たちは本当に同じようなことをずっと繰り返している。入退社を繰り返すのはその典型例だし、彼氏を取られた人はもう彼氏への未練がなくなってきたと言った三日後には彼氏への怨嗟を書き綴っている。それ自体はまあそういう人なんだろうと受け入れられるがそれにリプライしている人も毎度毎度同じようなことを書いていて怖くなってくる。お前らの方がおかしいんじゃないかと思えてくる。まあそれをずっとみてる僕も大概か。

音楽

去年もそうだが最近はYoutubeばっかり見ていて音楽のみを聞くことが減ってきている気がする。その中でも聞いていたものはなんなんだろうと振り返ってみると今年は洋楽よりは邦楽をよく聞いていたらしい。Pastastaの新譜、Glansの1st、音速ババアの海中トンネルを特に何回も繰り返し聞いたようだ。確かにここら辺は曲の間が繋がっておりアルバムを通して聴きやすかった気がする。あとはピーナッツくんの新譜、元Black Midiのgeordie greepのThe New Sound、折坂悠太の平成もすごい良かった。

あとは知り合いとライブに行くことが今年は多かった。野尻とSuperchunkのライブに行ったり古橋とPastastaのライブに行ったり他の友達とフジロックに行ったり、会社の人とアラバキロックフェス行ったりした。友達と合わせてライブに行くという当たり前のことをようやく身につけつつある。僕の人生は僕が人間になっていく過程。

マチアプ

先ほどTwitterの人に同じことを繰り返しているとか言っといてなんだが、自分も毎年毎年マチアプを入れてはやめを繰り返している。ただ働き始めて3年目にもなると年収である程度戦えるようになってくるのと会社でいい写真を撮ってもらえたのでマッチする率がかなり上がった実感がある。ただそれで事態が好転するかというとそうでないのが恐ろしいところで振ったり振られたりをひたすら繰り返しているだけで何も前には進んでいない。無限地獄。

正直振られる方が楽というか、そちらは自分が2,3日死にたくなれば済むだけの話なのだが、振る方は非常に気分が重い。自分が振られる方の気持ちを十二分に理解しているだけに相手にその重荷を背負わすのが苦しくて仕方がない。「お前は何様のつもりなんだ」と頭の中で反芻する。ここまでうまくいかないとなるとスペックの問題ではなく自分自身のもっと深い部分の問題なのではと思い出しておりそれが一番怖い。自分に幸せになる資格があるのか自分自身に問う日もままあるが足が動く間は一歩一歩進めればと思う。

冷笑

いつの間にか冷笑という言葉が流行り出していつの間にか絶対悪のように扱われるようになっていることにずっと違和感がある。僕がまとめサイトにどっぷり浸かって来たから冷笑仕草に馴染みがあるというだけなのかもしれないが。そもそも冷笑とはなんなんだろうとずっと考えている。

仮に冷笑という言葉の定義を「何かに真剣に取り組んでいる人を一歩引いた視点から馬鹿にする行為」だとしてみる(そんなに違和感はないと思う)。これはすごく悪いことのように思え、実際みんなもこういう意味合いで使っているように思うが、自分的にはこれはフレーミングの問題じゃないかという気もしている。

真剣に取り組んでいるというと聞こえはいいが、特定の民族を日本から追い出すために活動している人たちや陰謀論じみた言説をネット上に撒き散らしている人たちも「何かに真剣に取り組んでいる」ということはできて、そういう人たちに皮肉や嫌味をいうこともこの定義だと冷笑という言葉に入ってしまう。ただ冷笑という言葉を使っている人はあまりこれには同意しないのではないかと思う。実際全てのことに真剣にぶつかることは人間できなくて、そこまでのリソースはないけど自分がおかしいと思うことに対して皮肉という手段を取ることはそこまで責められるようなことではないと思う。

おそらく冷笑という言葉の意味合いには「何か"正しいこと"に真剣に取り組んでいる人を一歩引いた視点から馬鹿にする」といったような「正しい」や「良い」のような修飾語が潜んでいて、それは恣意的というか人によって判断が分かれることなのに、それが絶対的な悪として使われていることに納得がいかない。冷笑という言葉を使った時点で自分がいいもので相手が悪者という構図を言外に相手に押し付けている。こういう強い言葉は便利な言葉でもあり、それが社会に浸透していくのはなんだかなあと思うが、「ルッキズム」の時も原義が生き残ることなんてなかったので仕方ないんだろうなと思っている。

テレビ

松本人志が終わってからテレビを見る頻度がぐっと減った。単純にガキ使などを見なくなったのもあるが、一つの時代が終わったのを感じている。スキャンダル自体に関してはそこまで驚きはないというか、聖人君子ではないのを知ってるのであれくらいのトラブルは起こるだろうと思っていたが、その後の対応が本当に終わっていて残念だった。あんだけ宮迫の動向を見てながら自分も二択を間違え続けるのが本当に松本人志という時代の限界なんだろうなと感じている。

ただ振り返ってみると面白いものは結構あったなと思う。水曜日のダウンタウンの高野ドッキリ、名探偵津田。ゴッドタンの東ブクロイかせてよ裁判。旅猿マカオでダイアンが部屋に文句いう回。テレビ千鳥の秋の林間学校、くりぃむナンタラのミニスカート陸上呂布回、脱力タイムズの尾形vs永野など粒揃いだった。ただ新しくて強い番組はもうあんま出てないような気もする。バラバラ大作戦が本当に終わっているというか試みは悪くないのに結局何も生き残れないのが勿体無いなと思う


 

こんな感じかな。まあ正直まだまだ書こうと思えば書けるがかきゃあいいってことでもないので今頭の中にあるものを書き出せたくらいで十分かなと思う。ただそうなると1月の頃とかなんも出てこなくなっちゃうから上半期下半期に一回ずつくらいやるのがいいんかもな。

ここまで読んでくれた人にせっかくなのでいっておくと12月末くらいに久しぶりに彼女ができた。結局マチアプとは関係のないところでできた。どうなっていくのか自分自身わからんが来年も楽しくやれればいいと思う。気づいたら27歳も半年くらい終わってしまった!