2025年を振り返っていく。AIの進歩により自分で一文字一文字書くのがアホくさくなってきているきらいもあるが、それでもやはり文章を書くという作業は楽しいものである。
去年同様トピックごとに振り返っていく。意外と書くことありそうで今年中に書き終わるか心配だ。*結局書き終わらなかったので2025年を今年と表記してたりする。適当に読み替えてください
転居/転職
引っ越しと転職があった一年だった。正確にいうと引っ越しをしたのは去年だが、新しい環境に慣れ始めたのは今年であるためまあカウントしてもいいだろう。
前住んでいたのは高円寺で、そこが嫌になって引っ越しをしたわけではないのでいまだに高円寺を恋しく思う時はある。今でもたまに服を買いに行ったついでに一杯飲んで帰る。高円寺はサブカル的なイメージがあり、そしてそれは間違いではないのだが、自分は街全体に流れている寛容な雰囲気こそが高円寺の良さであると思っている。昼間に酒を飲んでぶらぶらしていても奇異な目で見られない。ただ上野のアメ横のような飲み屋街とかとはまた違い、そのような緩さが日常生活と衝突せずにうまく溶け込んでいるのが不思議な街である。
最近再開発の話が進んでいるのだが、行政側は火災が起きた時に現状だと被害が大きいから再開発は必要だと主張し、市民側はそれは利益優先の再開発を正当化するための方便だと反論している。個人的な印象だが、どうも権力 vs 反権力という構図が先鋭化しているように思う。命が関わる話なのでエビデンスを元にした議論を進めて欲しいものなのだが、調べてもあまり情報が出て来ず、そして自分も都市計画に詳しいわけではないのでよくわからない。まあ上手いことなって欲しいと思う。
今住んでいるところは駅近で、複数沿線へアクセスできるのでかなり住みやすい。ちゃんとしている場所なので、前みたいによくわからん服着てぶらぶらするみたいなことはしづらくなったがそれが大人になるということなのかなとも思う。同棲とかではない。普通に一人暮らし。
あんまベラベラ喋って住所特定とかされても面倒なので転職の話に移ろうかと思う。転職エントリも書こうと思ったが前の会社も新しい会社もそんなに大きな会社じゃないので、いらんこと書いてコミュニティをざわつかせてもよくないなと思いやめておいた。転職をしようと思った理由があり、それを元に転職活動をしたところ条件に合うところが見つかったので移ったという話。
10月くらいに入社した。入社する前に一回オフィスに挨拶行ったら大学の時の友達がいてめちゃくちゃびっくりした。今で大体3ヶ月経つんだが楽しく仕事できている。前まではほぼリモートだったが今は週4-5で出社している。大きな変化だ。最初は死ぬほど眠かったが慣れればまあこんなもんかと思う。20代終わりに差し掛かってくると「今は無理だけど3ヶ月か半年経てば慣れてるだろうな」という長期スパンの捉え方ができるようになってくる。
ただもう一個思ったこととしては、自分はやはり仕事が根本の部分で好きではないなと思う。前の会社も今の会社も、仕事が好きでずっとオフィスいても苦ではないみたいな人がちょこちょこいる。本当にすごいなと思う。
自分は仕事は金を稼ぐためのものとして割り切っており、何をやりたいかと聞かれた時にうまく答えられないことが多い。それは仕事人としての美学の一つではあるが、結局好きで仕事やっている人には勝てないというのもまた事実である。ウェストランドの井口も「与えられたものを120%で返すことに喜びを感じるから何をやりたいとかはない」と言っていた気がする。ただ井口は仕事自体は好きっぽいからちょっと違うか。
仕事を好きな人の何がすごいかというと、100%自分のやりたいことではないことに100%の愛情を向けられるのがすごいなと思う。音楽聴いたり映画見るのは自分が触れたいものを自由に選ぶことができるが、仕事においては100%やりたいことをできることは基本ない。自分はそこの曖昧性を受容するのが苦手なため仕事と私生活を綺麗に分けたくなる。仕事が好きな人はその曖昧性とうまく付き合っているのがよくできるなと思う。
一個目からめちゃくちゃ長くなってしまった。一万文字くらいには収めたいが。
ドバガキ
ドパガキという言葉が爆発的に流行し、すでに定着しつつある。これは主にtiktokなどのショート動画に浸かりドーパミン中毒になってしまったZ世代を指す言葉であり、自分の世代とは対象が少しずれているのだが、この言葉を初めて見た時にこの言葉は自分のためにあるようなものだと感じた。
そもそもこの言葉の初出は、自分の理解では、ミセスグリーンアップルのライラックの展開が多すぎることに対するツイートだったと思う。そして自分はこういう展開が多い音楽が非常に好きなのだ。例えばgreen dayのjesus of suburbiaとかPeople In The Boxの多くの曲などは展開がかなり多く、自分はこういう音楽で育ってきた。単純にテンションが上がる。
思い返せば自分は子供の頃テレビを見ながら宿題をしていたし、受験の時もずっと音楽をかけながら勉強していた。マルチタスクができるというよりはマルチタスクでないと作業ができないタイプなのだ。若干多動っぽいというか注意欠陥の気がある。
そこらへんの諸々を総合した時にやはり自分はドパガキという言葉が生まれる前からドパガキだったんだろうなと思う。この言葉自体は蔑称の意味合いが強いが自分としては自分自身を把握するために便利な言葉だと思う。
最近はドパガキぶりに磨きがかかってきており、コーディングエージェントが動いている少しの待ち時間でもtwitterやインスタを見てしまう。本の読み方も少しずつ変わってきており、文章を一文一文ずつ追うというよりかはページ全体をパッと見てキーワードっぽいとこだけ確認してなんとなくの意味合いを把握するというような読み方をしている気がする。早さの代わりに正確さは間違いなく犠牲になっている。
今のところこれによって具体的な問題が起きたわけではないのでこれでも全然いいやんとは思ってるのだが、「常に何かをしていないと不安」というのはある種の強迫観念ではあり、不要なストレスを生むリスクがそこにある。
強迫観念はだるさを乗り越えるためのきっかけとしてはしばしば機能するのだが、こういうロジックを超えた信念は諸刃の剣であるというのを意識しないといけない。自分はドーパミン中毒ではあるがガキという言葉で許される年齢ではなくなってきている。
旅行
去年は4回ほど海外に行って「今年くらい旅行行くことはもうないだろうな」と思っていたが結局今年も4回ほどになった。まず出張でアブダビに行き、そのあとはイギリス、南米、年末年始にはパリに行ってきた。ちゃんと貯金が犠牲になっている。NISAとiDecoやってるからいいだろうと思っているが流石にやばいかなという気もしてきた。
どれも非常に楽しかった。パリ以外は基本一人旅。イギリスは現地に友達がいて案内してもらうという貴重な体験をできた。英語でのコミュニケーションには慣れてきたが、海外特有の不安や緊張感はまだ抜けない。ただそれ自体が一人旅の醍醐味でもある。お手軽なスリル。
エクアドルのキトはさすがに少し怖かったか。昼間でもひったくりがあるという話を事前に聞いていたりしたのであまり自由に観光はできなかった。ここら辺、南米とかアフリカ回っている旅youtuberの人たちはやはり頭のネジが一個外れてるなと思う。全然関係ないけどエジプトにJTBのツアーで行った人のVlogがyoutube上で人気があるのを見かけ、そこのコメント欄に「旅行系のVlogは旅に慣れている人向けのものばかりなのでこういうパッケージツアーの動画があるとありがたい」と書いてあったのを見てハッとしたのを今思い出した。自分も今年Vlogを作ったりしていたが果たしてパッケージツアーをVlogにするという発想があっただろうかと思う。知らず知らずのうちにVlogは旅行に慣れている人が他の慣れている人に向けて作るものというバイアスがあった。
話がそれた。どこも良かったが特に良かったところをピンポイントで選ぶのであれば南米旅行で行ったガラパゴス諸島のシュノーケリングツアー、あとマチュピチュになるかと思う。どちらもそこでしか見れない光景が見られて非常に良かった。イギリスとパリも天気が良かったりいろんな人と会えて良かった。
行ってみたいところは大体行ってしまったのでもうあまり一人旅で行きたいところはないかもしれない。スペインとスリランカくらいかな。スペイン行くのはまあ金かかりそうなので来年再来年は一人旅行くとしてもアジアくらいにしておこうと思う。
忘年会失敗
去年サークルの後輩が忘年会を企画してくれてそれが楽しかったので今年は自分がサークルのOB/OGの忘年会を企画したんだがこれがあまりうまくいかなかった。自分が上の人と話したかったので上3つから下2つまでを集めたLINEグループを作って日程調整したんだがあまり投票してくれずの状態が最後まで続いてしまった。
どうも3年上の人と自分以下の人たちの間で交流があまりなかったため気が引けてしまったらしい。自分が3年上の人たちのことが好きなのでそこの可能性に思い当たらなかった。これは失敗だった。
投票が集まらない2週間本当に恥ずかしさとやっちまった〜という気持ちで頭がいっぱいだった。久しぶりにこんな感覚になった。強がりみたいになるがすごい良い経験になったと思う。最近なんでも自分の思う通りになると思っていたのではと身につまされた。
最終的には8人ほど人が集まってくれてそれがすごく楽しかったので結果オーライだと思いたい。また来年も何かしらの形でできると良いですね。
コンテンツ
今年も色々とコンテンツを消費した。最近はあまり前ほど音楽を聞かなくなったように思う。代わりにラジオを聴いたりyoutubeを垂れ流したりしている。ぽこぴーのゆめうつつがpodcastで始まったのもデカかった。視聴者の需要を掴むのが本当にうまい。今年は映画館で映画をよくみた年であったように思う。そんなめっちゃ行ったわけでもないが。ジャンルごとに振り返っていく。
音楽
先ほども言ったがあまり音楽を聞かなくなった。仕事中とかはずっとイヤホンをしているので量自体は聞いてはいるんだが前みたいに音楽単体にめちゃくちゃくらうことが少なくなったように思う。mom, glansみたいに2024年も聞いていたものをずっと聞いている。
2025年に聞いた中ではtexas 3000, geordie greepが良かった。geordie greepはholy, holyのライブバージョンがyoutubeに上がっており、その中でも二人ギターのものがめちゃくちゃ良かった。texas 3000は4月ほどに主催のライブを見にいってそれがめちゃくちゃかっこよかった。曲やパフォーマンスがいいのはもちろん三人の組み合わせがそれぞれキャラが立っててすごく良いと思った。
今年はフジロック行かなかった分単体のライブに行くことが多かったように思う。渋谷quattroのライブに何回か行った。そのうちの一回でglansを見た。あれくらいの小さな箱は当日でも券が残っているし、スッと行ってスッとかえりやすいからありがたい。あとは東京ドームでoasisを見た。これは非常によかった。東京ドームは音が聞こえづらいという話もあったが実際行ってみたらめちゃくちゃ聞きやすかった。リアムの声も絶好調だった。特にノエルは金を稼ぐためと割り切ってoasisをやっている感じがあり、自分はそのスタンスが割と好きである。
あとはyoutubeでアイドル系をちょこちょこみたりした。とき宣とかcandy tuneとか。
映画
色々みたのでよかったのを抜粋する。
ウィキッド、ダゲール街の人々、教皇選挙、国宝、ひゃくえむ、チョコレートドーナツがよかった。
今年はウィキッドとか国宝とか売れているものが真っ直ぐ刺さった年だった。ひゃくえむが注目されていることで前作の「音楽」も注目され、そんでなんか全然面白くないと馬鹿にされているのが本当にムカつく。めちゃくちゃいい映画だと思うんだけども。最初の合わせのシーンとかめちゃくちゃいいじゃんね。チェーンソーマンレぜ編も非常によかった。チェーンソーマン1部は全体を通して「自分だけがわかっていると全員に思わせることができる」作品であるように思う。昔の松本人志。
ゲーム
SANABIがとにかくよかった。爽快感のあるアクションと怒涛の伏線回収。ドンキーコングバナンザも非常によかった。slay the spireやouter wildsも非常にいいんだがこれはまだクリアまで行けていない。slay the spireはサイレントで心臓倒せたら終わろうと思っていて、これはもうちょいなんだがouter wildsはもうこれやらないんじゃないかという気がしてきている。若干詰まってきていて、多分攻略サイト見たらいけるんだが攻略サイト見てしまったら面白さや魅力が半減なのでじゃあもういいかなという気持ちになってきてしまった。2026年はGTA6が発売されるそうなのでそれに備えようかなと思う。
お笑い
とにかくネタを見なくなったなと思う。元々ライブにそんな行く方ではないんだが、テレビでネタ番組が減ったということもあり、本当に見なくなった。M1の3回戦とか準々決勝のやつを見るのと、たまに上がっているやつで面白そうなやつや話題になっているやつを見るくらい。それもほぼ記憶に残っていない。サークルの先輩後輩がやっているライブはたまに見に行くが来年はもうちょい幅広くネタ見たいよなと思う。
バラエティ番組とかはちょこちょこ見るのでその中で良かったものを上げていこうと思う。
シュシュっとごくろうさん、有吉クイズのメモドライブ、ひっかかりニーチェ、しんいちZAZYの本当は喋りたくないの田津原ゲスト回、芸人キャノンボール、マルコポロリ(大阪33期SP)、ガッツ100%の三周年LIVE、チャンスの時間
らへんがよかった。
チャンスの時間、シュシュっとごくろうさんとマルコポロリは確変に入っている。本日はダイアンなりも毎週安心してみれてよかったんだが15分に戻っちゃうようで残念。
ダウンタウンプラスが始まったのもビッグニュースだった。自分は松本人志信者なので最後を看取る気持ちで年間プランに課金した。最初は面白い企画が続いてええやんと思ったが最近は明らかに失速していてダメやんってなっている。ええから黙ってガキ使の過去アーカイブ全部配信せえやと思う。まあ権利とか色々難しいんだろうが。雷獣とかたまにみていると松本人志関連で演者側と視聴者側の受容の仕方に明らかに差があって興味深い。雷獣見ている人たちの属性がいまだに掴みきれていない。あんまいうとよくない言葉が出てきそうなのでやめておこう。
人には言えないようなコンテンツ
人には言いづらいようなコンテンツも見ている。ちなみにエロとかグロとかではない。そちらの方がむしろ言いやすいまである。
例えば「就活なにもしてない」というアカウントを見ている。こんなのを見ているのは本当に良くないが面白い。いわゆる社不系コンテンツなんだが、起きるイベントの頻度やインパクトが他とは比べ物にならない。派遣先の女性を好きになってDM何度も送った挙句向こうに婚約者がいるとわかってそのDMをtwitterに晒してそれが向こうにバレるというレベルの話がバンバン起きる。おまけにyoutubeとかで配信も始めて毎回リスナーとの通話でボコボコに説教されてるのにまた何日か経ったらその説教全て忘れてゼロから配信をしている。
「作家がいる」とか「全部嘘」と主張する人たちもいて、自分も流石に釣り臭いなと思う時もあるのだが、ただ全部が全部演出ってこともないと思うんだよな。youtubeで配信始める1年前くらいから新卒で入った会社1日で辞めたりして話題になったりしていて、全部演出だとしてこんな長期スパンでやるのかなあとは思う。しかもyoutubeの配信は顔出ししてないとはいえ声は出してたり部屋も映してたりして、youtubeやXで小銭稼ぎするためにここまでリスク取るのコスパ悪くないかとも思う。多分全部嘘でも全部本当でもなくて、そこの揺らぎが一つの魅力なんだろうなと思う。
もう一個見て感銘を受けたのが全学連の内ゲバに関しての告発記事。トラッキングされたりするのも面倒なのでリンクは貼らないでおくが、これは名文だった。
経緯が非常にややこしい話なんだが、元々全学連の中の人たち同士で結婚した夫婦がいて、ある時その夫婦関係が拗れて、女性の方がその時精神状態が不安定だったのもあり、男の方を女性差別者として告発したんですよね。そんで上層部が判断した結果その男の方を除名するという決断に至ったわけなんだが、女性の方もいっときの気持ちの勢いでもあったし、そもそも除名までさせるつもりではなかったからその処分は不当であるという申し立てをして、結果中核派で内紛が起こっているという話。
そこら辺の事情を本人が詳しく書いたのがその告発記事で、読みたい人はその全学連のトップの夫婦の名前でググってみてもらえれば読めると思う。この記事は筆致がとにかく中核派っぽいというか共産党っぽいというか、読みやすさより共産主義的なロジックを優先させるタイプの書き方なので非常に読みづらい。ただその読みづらい文章に食らいついていけば、勢いで告発しちゃったものの若干の後悔もあるんだろうなとかまだ相手のこと好きなんだろうなみたいなクソデカ感情が浮かび上がってくる。論理と激情がぶつかり合っている。奇文であり名文であると思う。
まあこんな形で外部から消費されるのも本人は嫌だろうと思うが自分は普通に文学として良い文章だなと思った。人におすすめはしづらいが。
コンプレックス
20代ももう終わろうとしているのにいまだにさまざまなコンプレックスに囚われ続けている。
自撮りには毎回緊張感が走るし、猫背やストレートネックも気になる。この世に生み出される全ての美容用語の「よくない側」に自分が位置しているように感じる。
字が下手なのも嫌だし落ち着きがなくて貧乏ゆすりが止まらないのも嫌。人と10分話していると一回は言わなくていい余計なことを言ってしまうのも嫌。喋り始める時の音量調整が下手なのも嫌。
この「嫌」というのは多義的な意味合いを持っている。メタ認知的に自分を見た時にここは直した方がいいよなと思うタイプの「嫌」と、そもそも自分がそんな特徴を持っていることから反射的に目を背けたくなるような「嫌」が混ざっている。
病んでるとかではないんだが、目にみえる実績がない部分で自分を褒めるのが苦手だ。今はまだ問題に対処できる元気があるが、多分中年になったらもう対応できなくなって太って禿げていくんだろうなと思う。ひたすら嫌だな〜と思いながら太って禿げていく。
ただ自分では気づいていないだけで以前抱えていたコンプレックスが知らぬ間に解消されていることもあるのだろうと思う。喉元過ぎれば熱さ忘れる的な。この文章も10年後見返して「なんか暗いこと言ってんな〜」と思うようになれればいいなと思う。実際修士の頃書いていたブログを最近見返して死ぬほど暗くてびっくりしたことがある。まあそもそも日々の病んだタイミングで書いてたものではあったが。もうちょい明るかったと思っていたが、過去をきちんと覚えられていることなんて基本ないんだろうな。
家族
姉が二人いるのだがそれぞれに子供が産まれてめでたい年だった。ここ数年は家族仲が良くなっている。別に元々悪かったわけではないが。姉二人が親になり、自分も就職して生活が安定してきたことで両親も肩の荷が降りたのだろう。少し嘘くささすら感じるほど家族仲が良い。
最近は今のうちに両親に聞いておきたいことは何かあったりしないかと折に触れて考える。よくある話として、両親が亡くなった後にあれも聞いておけばよかった、これも聞いておけばよかったとなるそうだ。聞きたいことなど挙げようと思えば無限にあるが、どうしても聞いておかなくてはいけないこととなると難しい。自分から喋らないことをこちらから無理くり聞くのも下品であるように感じる。「それについて話さなかった」という事実自体がそのトピックに対する結論である場合もあるのだろうと思う。
果たして新しく産まれてきた姪たちは自分のことをどのような存在と捉えていくのだろうか。正直自分の方は子供の頃叔父や叔母にあった記憶がはっきり残っているわけではないのだが、一度くれたカエルのおもちゃなどはいまだに記憶に残っている。東京に住んでいるということもあり身近な存在としては感じられないだろうが記憶の端っこにしがみついてはいたいものである。これは甥姪関係なく全ての人に対して思う。
長くなってしまったがこんな感じである。去年も最後に恋愛の話をしたので今年もここですることにする。ここまで長大な文章を読んだ若しくはスクロールしてくれた感謝も込めて。
端的にいうと去年ここで付き合ったと報告した人とは3ヶ月ほどで別れてしまい、その後付き合った人と今で9ヶ月ほどになる。前の人には完全にこちら側の原因で振られた。その時は自分の人間性に対してかなり嫌気がさしてそれは今でも残っている。自分自身というモンスターとどう向き合っていくかが大事である。
その失敗も踏まえて今の人とは割とうまくやれていると、完全に主観だが感じている。パリに行ったのもその人とで、喧嘩もなく楽しく過ごせた。だが調子に乗らないように常に心がけている。謙虚に、謙虚に、今あるものをありがたいと思おうと反芻する毎日。「よく」ありたいと願っている。「よさ」の定義は日々遷移し続けるがその流動性も込みで自分自身を微調整し続けるしかないのだ。アップデートみたいな使い古された言葉を今更使いたくはないがやはりそういうことなのだと思う。
2026年はフルで20代を過ごせる最後の年になる。年の終わりに20代を総括できるよう棚卸しを進めていこうと思う。ちゃんと月末までに経費精算済ませておかないとバックオフィスの人に後で怒られてしまうのだ。